【東三河 木材の歴史と現在】
母なる川、豊川を有する東三河地方は、雄大な自然と温暖な気候に恵まれ、豊かで実り多い地域として、古くは「穂の国」とよばれ栄えてきました。現在では全国有数の農業生産高を誇り、国内1.2を争う輸出港を有するほどに発展しています。
輸出関連産業、輸送関連事業、食品産業など、様々な産業が営まれ、歴史ある文化財や、特色ある民俗芸能など生活面でも豊かな地域として知られています。
また、奥三河は全国一の木材産地である奈良県吉野にならび、良質な木材が取れる全国有数の木材産地と言われています。
奥三河・鳳来町
その歴史は古く 鳳来寺山には樹齢1300年といわれる杉の木や作手の湿原からは縄文杉の木片が出土しているので、大昔は杉や桧が自生した天然林が奥三河のあちこちにあったと言われています。
室町初期の1340年には伊勢神宮の第35回式年遷宮のための材料として、三河国設楽山から伐り出された記録が残っています。江戸初期には江戸城や駿府城の御用材として大量の木材が伐りだされ、民間林の木は江戸の中ごろから江戸の材木商人が奥三河産の木材を購入しています。
東海道・吉田宿
明治に入りこれらの天領の【御林】は明治政府に受け継がれ、官林と呼ばれ、一部は一般の国有林としてではなく皇室の財産の【御料林】として宮内省が管理していました。昭和43年に廃線になった田口鉄道は、当時の段戸山系の御料林の木材の搬出にも利用されていました。
関屋・船町河岸(豊橋市)
奥三河の木材は土質が生育に適している事もあり、赤みが強くて色艶が良く、狂いが少なくておとなしい性質で、しかも病害虫に強いという特徴があります。特にスギ材は非常に良質で、明治中期から戦前にかけて、板に加工して三河板というブランドで東京へ出荷され高い評価を得ていました。
現在、日本で使用される木材の80%は海外からの輸入品です。日本の森林は十分利用できるまでに木が成長していますが、輸入木材に押され需要が極端に減少しています。そのため森は植林して育てるというサイクルが成り立たず、加速度的に荒廃が進んでいます。森が手入れされなければ、大雨、台風による洪水、土砂崩れなどによる自然災害、夏場の水不足などを引き起こす要因となります。
荒廃した森林
こうした問題を解決する方法として、私たちが地元の木材を使用する「地材地消」を推進していけば、東三河の地域活性化にも、地域全体にとっての環境と暮し、そして子供たちの未来のためにも大きな意味があると考えます。
東三河の森林は私たち地元の人によって守っていかなくてはなりません。 マルナカウッド株式会社は古くより、積層の原材料に愛知県産の間伐材も使用してきました。間伐材の杉・桧を1枚でも多く出荷することが、弊社のできる環境対策事業の一環であると考えております。
|